証し

私は1年前、大腸癌になり摘出手術を受けました。
私の家系は癌系統なので、癌になるかもしれない

でも私は母型の方に似ているので癌にはならないと自負していました。
お医者さんから、貴方は癌ですと聞いた時
大変だとか焦りとか、これからどうなるのだろうかとか
そういうことはまったくなく、
神さまがすべてのことに最善をなしてくださるとの確信と
神さまから来る平安で、
心が本当に落ちついていました。

手術後の処置10日以上も絶食と、辛い事が続きましたが
神さまは私と共にいてくださり、み言葉を通して励ましを受け
1か月近い入院生活も楽しく過ごしました。

退院後6か月の通院での抗がん剤治療が続きました。
食欲不振、倦怠感、手足のしびれ、
脱毛等の副作用がありましたが
主の御手の中で全てが守られました。

詩篇23編
主は私の羊飼い。私には乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ
いこいの水のほとりに伴われます。たとい死の陰の谷を歩くことがあっても
私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。

 

私は40年前に恵みによって救われました。
クリスチャンになっても患難は多くあります。
でも、主がいつも共にいて助け、天国に行くその日まで
訓練させてくださり、神さまの恵みを深く感じる為に
試練・患難は来ますが、その度に主に信頼して歩みたいと思います。

 

患難が忍耐を生み出し 忍耐が練られた品性を生み出し
練られた品性が希望を生みだすと知っているからです。
(ローマ人への手紙5章3~4節)

by M.H

神さまの愛

私は2013年2月にコイノニア教会で受洗したばかりです。
小さな頃、教会学校らしき場所に
日曜日通っていた記憶があります。

20代の頃、三浦綾子さんに心を魅かれ
作品を次々と読み、クリスチャンに少し憧れをいだいていました。
柄本牧師の「ちいろば先生」「西村久蔵物語」などの作品には
特に強い感銘を受けました。

そして、二人の子ども達はキリスト教の幼稚園へ通いました。
その後、私の職場もキリスト教の幼稚園と・・・
考えてみるといつも、私の側に神さまはおられたのです。
でも、私にはそのことを感じることも見ることも全くできませんでした。

私はパソコンのYouTubeの動画サイトで
ライブを見ることが好きで、
昨年の9月頃は毎日のようにマイケルジャクソンと尾崎豊のライブを見ていました。
早くにこの世を去り、天才とまで呼ばれた2人のライブは
私の心を強く揺さぶりました。

そして、この二人が「愛」というテーマに喜び、悲しみを歌い
また苦おしいまでに「愛を求める」歌声に
突然「は!!!」と、ある言葉が私の心に浮かんだのです。

それは

「神は愛である」

誰もが求める愛・・・それは「神さまの愛だったのだ」と
思った瞬間でした。

この時、やっと私は神さまと出逢うことができました。
そして、今まで本当に長い時間がかかりましたが
どんな時にも共にいて下さったんだということを
心から信じ、生かされてきたことを
日々感謝しています。

 

「主よ、
あなたの十字架に私の救いと慰め癒しがあります。
今も希望の十字架を見上げて、あなたと共に歩みます」

 

by mars95 その1

98曲目の奇跡

私は2008年1月から2016年4月まで
毎月1曲ずつ
聖書のみことばを覚えやすくするために
みことばに曲を付けて参りました。
98曲目を作っていた時のことです。

いつものように
みことばの始めから曲を付け始めましたが
思うように付けることが出来ません。
書いては消し書いては消し
最後まで一応書いたものの
何か腑に落ちないので
書いた楽譜を捨ててまた一からやり直す。

そんな事を4回ほど繰り返しました。
でも、こんな事は今まで一度も無かったのです。

何か変だなと思いながらも
こじつけるような思いで5度目に曲を完成させました。

楽譜を作成してパソコンに保存しようとしたら

「そのファイル名は既にあります。上書きしますか?」。

よく調べると、以前作っていたみことばだったのです。

曲をつけたみことばは、CDにしてきましたが
まだその曲はCDになっておらず
また、私も忘れやすい年齢でもあるせいでしょう、
すっかり忘れてしまっていたのです。

感謝の祈りを捧げます

いつも私は以前から気になって
それを思うととてもイライラしてしまう事がありました。

昨日、それが爆発して
ある人と口論になり、お互いに大声で怒鳴りました。

原因は私ではないのですが
その人が相手に暴言を吐いている事に私はとても腹が立ったのです。

夜中に目が覚めて私は
その事を思い出して興奮し、眠れなくなりました。

 

しばらくして、ふとイエス様を思いました。
「イエス様は今の私を見てどうおっしゃるだろう」と考えました。
相手を責める気持ちよりも、逆に自分を振り返ったのです。

私は聖書を学ぶ様になって以来
新しい自分に作り変えられていました。

「だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、
その人も神のうちにいます。私たちは、私たちに対する神の愛を知り、
また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、
神もその人のうちにおられます」(第1ヨハネ4章15~16)

私はひたすら御言葉を心の中で歌っていると
心は平安に満たされ、相手を責める気持ちは既に無くなっていました。
自分自身を自ら陥れることなく
イエス様から平安が与えられるという経験をする事が出来ました。
この経験を積み重ねて
これからのクリスチャン生活も
幸いで平安な毎日を過ごしたいと思います。

 

今日も神様に感謝の祈りを捧げます。